・鎌倉宮: 大塔宮とも呼ばれる。建武の中興の際に暗殺された護良親王を奉っている。境内に入って社の後ろに廻ると護良親王が捕らえられていた土牢がある。鎌倉宮は明治二年い建立された新しい神社。 |
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・鶴岡八幡宮 鎌倉の中心的な存在。オオイチョウ、舞殿、源平池など、逸話の多い史跡が残っている。材木座にあった八幡宮(今の元八幡宮)を頼朝が現在の位置に移した。源平池は西が平家池で四つに島があり赤い蓮が植えられた、東が源氏池で3つの島があり白い蓮が植えられた。源氏の赤が東から西に攻め、平家の白が死(4)に、源氏が産(3)まれることを願った。北条政子が大場景義に作らせオマジナイしたという。 |
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・白旗神社 二つあって一つは八幡宮境内、もう一つは頼朝の墓の前。八幡宮境内の白幡神社は子の頼家が作った。頼朝の墓の前の白幡神社は明治以降に出来たもの。供に頼朝を祭っている。 |
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・葛原岡神社 日野俊基を祀った神社。化粧坂を登って直ぐの所、源氏山公園の隣にある。近くに日野俊基の墓もあり、処刑されたところでもある。神社は明治21年の建立とか。 |
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・在柄天神社 鎌倉で最も古い神社とか。菅原道真公を祭ってある。頼朝が当神社を鬼門を押さえる社としたり、頼家は菅公300年際をこの神社で行なった等、鎌倉幕府に珍重された。昔から詩、歌を献詠するところだったらしい。伊達政宗が「独吟千句」を奉納したと伝えられている。 |
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・五霊神社 後三年の役で活躍した鎌倉源五郎平景政や、近郷の平家の祖を祀っている。江戸歌舞伎の二代目団十郎がここで当時の景政の武勇を聞き、「暫」という狂言を演じ名を上げたと言われている。「片瀬饅頭」、「力餅」、「大鐘」等の菓子は景政の武勇伝から生まれているとか。 |
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・甘縄神社 御越しの嶽の麓にある。和銅3年(710年)僧、行基の創建とか。鎌倉で最も古い神社。万葉集14-3365「鎌倉の 見越しの崎の 岩崩えの 君が悔ゆべき 心は持たじ」の歌が詠まれている。源頼義が祈ったところ八幡太郎義家が生まれたとの逸話有。 |
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・佐助稲荷神社 赤い鳥居が連続して立ち並らんでいる神社。源頼朝が平家追討を祈願して建てたと伝えられる。頼朝が伊豆の蛭ゲ小島にいた時に高熱を出し、鎌倉に住むという稲荷が枕元に出て旗揚げを勧めたという。平家を追討した後、この地に稲荷神社を建立したと伝えられている。 |
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・熊野神社 足利吉兼の建立。和歌山県の熊野三社権現を勧進したもの。 |
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・八坂神社 別名を「相馬天王」という。桓武平氏の相馬次郎師常が屋敷の守護神として牛頭天王を祀ったことが始まりと言う。元久二年(1205年)創建とか。明治の神仏分離令により、今はスサノオ尊、桓武天皇、葛原親王、高見王を祀っている。 |
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・十二所神社 旧十二所村の鎮守。弘安元年(1278年)創建。始めは光蝕寺の境内にあり、光蝕寺の守護神だったが、明治の社寺分離により、神社が十二所村民の持ち物となった。 |
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・五所神社 明治41年の建立。材木座村と大町が合併し東鎌倉村となった時に三島神社、諏訪神社、見目神社、琴平羅宮、八雲神社の五神社をまとめて五所神社とした。弘長二年(1262年)銘文の板碑、摩利支点の石仏、寛永19年(1641年)修造んじょ神輿がある。 |
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・八雲神社 新羅三郎義光が後三年の役で奥州に下る途中、鎌倉に疫病が流行しているのを見て、京都の祇園様をここに勧請したと言う。 |
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・元八幡 康平6年(1063年)源頼義が京の石清水八幡に勧請し、建立。頼朝が鎌倉入りをしたとき最初に参拝したという。治承四年(1180年)に占って現在の鶴岡八幡宮の位置に移したが、村人が仮宮を建て、「元八幡」と称した。 |
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・光明寺 国道134号線、材木座海岸のそば。潮騒が聞こえる。記主庭園には2000年前の種子を発芽させた蓮が紅い花を咲かせます。春は桜の花が咲く、広い境内がある。浄土宗の関東総本山、秋にはお寺を中心に市が立つ。本尊は運慶の作による阿弥陀如来。 |
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・長寿寺 延文3年(1360年)足利基氏が父の尊氏の菩提を弔う為に建てた寺。足利尊氏坐像と、開山の古先印元の坐像を祭る観音堂、足利尊氏の墓と伝えられる五輪塔がある。観光のための拝観は出来ない。 |
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・安国論寺 日蓮がここの岩屋に籠って布教活動を行なったところ。立正安国論をまとめた。この後、日蓮は危険思想の持ち主として佐渡に流された。桜、海棠、山茶花、アジサイなどの花が知られる。 |
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・妙法寺 妙法寺の場所は日蓮が最初に庵を作ったところ。後に本圀寺となり京都山科に移ったという。護長親王の遺児、法親王が父の廟を作ったのち、ここに埋葬され、そのお墓がある。別名は苔寺。 |
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・妙本寺 日蓮が始めて説法した寺。文永11年比企大学の建立。北条氏に滅ぼされた比企能員の館跡に末子の大学が日蓮の弟子となって寺を建て、妙本寺と名づけたと言う。二代将軍源頼家の娘、四代将軍藤原頼経の妻竹之内躾子は釈迦堂を建て、能員の甥である仙覚がここで万葉集の新点を加えたものを1269年(文永6年)に完成。 |
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・本覚寺 鎌倉駅を出て右に曲がって直ぐのところから見える。以前、境内は自由に行き来出来駅に向かう通勤や通学の道でもあった。身延山から日蓮の遺骨を分骨した分骨堂がある。2世日朝上人の名前をとって「日朝さま」、日蓮の遺骨を分骨した寺であることから「東身延」とも呼ばれる。眼病の神。鎌倉時代の刀工”五郎正宗”墓がある。 |
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・宝戒寺 鶴岡八幡宮のすぐそば。萩の寺として有名で、参道の両側から寺の中まで萩が植えられている。北条氏の屋敷跡に、足利尊氏が滅亡後その霊を弔うために建てたお寺。左右に梵天帝釈を置いた本尊は地蔵菩薩。ともに唐の作品とか。寺門の右に聖徳太子を祀った小さなお堂がある。 |
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・杉本寺 きつい階段。天台宗のお寺で本尊は11面観音、行基の作とか。坂東三十三札所の第一番。観音堂が一つあるだけの小さなお寺だが、天平6年(734年)に僧行基が創建したと伝えられる鎌倉で一番古いお寺。 |
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・光触寺 金澤街道沿いにあり駅から最も遠いところにある寺。小さいがこじんまりとした感じがある。一遍上人の開山。本尊は阿弥陀如来。運慶の作と言われ、別名を「頬焼き阿弥陀」とも言う。又、山門正面のお地蔵様は「塩舐め地蔵」と言って商売繁盛のお地蔵様。 |
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・明月院 駅に近いアジサイのお寺として有名。元は禅興寺(今は廃寺)の1塔頭。アジサイは方丈に向かう階段の両脇に植えられている。鎌倉十井の瓶の井がある。 |
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・東慶寺 縁切り寺、駆け込み寺とも言われた。元は尼寺。四季折々の花の寺としても知られている。高見順、鈴木大拙らのお墓や、バレーボールの大松博文監督の墓がある。早春に蝋梅、梅が咲き始め最も早く春を感じるお寺。元は尼寺らしいこじんまりした感じがある。花が多く瑞泉寺、覚園寺と供に私の好きなお寺。 |
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・英勝寺 鎌倉駅裏駅側の浄土宗の尼寺。元は大田道灌の屋敷跡とか。大田道灌が狩をして雨に逢い、蓑を借りようと民家を訪れた時、少女が出て「七重八重花は咲けども山吹の蓑一つだになきぞ悲しき」という歌を詠んだ場所といわれている。江戸時代になって徳川家康の愛妾お勝の方が住み、寺を建立。中には竹林がある。 |
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・高徳院 浄土宗。鎌倉の大仏がある。大仏は暦仁元年(1238年)北条泰時によって木造で作られたが大風雨で壊れ、今残っているのは建長四年(1252年)に鋳造された青銅製、高さ13.35m。大仏殿も始めはあったが、明応四年(1495年)8月15日大津波で建物が流されたとか。奈良の大仏より小さいが円満な相好で”顔”がいいとか。世界の中でも優品と過去の観光書には書かれている。与謝野晶子も「美男におわす・・」と詠んだ歌碑がある。 |
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・長谷寺 天平8年(736年)建立された鎌倉で最も古いお寺。本尊は高さ12mの11面観音。元正天皇の時同じ楠で二体の観音像を作り、一体は奈良県桜井市の長谷寺に、一体は海に流し縁のある地を探した。その一体が流れ着き、お寺を作って開山したのがこの長谷寺とか。四季の花や、高台にあり海を眺める景色が良い。 |
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・極楽寺 真言律宗、正元元年(1259年)北条重時の建立。北条重時が凶作、貧困にあえぐ人々の為に幕府を辞して出家し、このお寺を作ったと言われている。重時は慈善事業を多く行い、出家前に極楽寺殿と呼ばれていたと言う。寺の名前は由来し、鎌倉時代は49支院を持つ大寺院だったという。本尊は重要文化財の釈迦如来。 |
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・九品寺 建武3年(1336年)新田義貞の建立。新田義貞は鎌倉攻めのおり、この界隈の老若男女を殺害し、建物を焼く尽くしたと言われている。義貞が陣を敷いた跡に建てられたのがこのお寺。浄土宗。 |
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・来迎寺 一遍上人の開祖。西御門にある。西御門に建てられた寺で唯一残っている寺とか。本尊は阿弥陀如来立像。本尊の右には南北朝時代の如意輪観音座像で県の重要文化財と言われる。 |
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・海蔵寺 お寺に行く途中の参道から秋には紅葉を見ることが出来る。弘法大師が掘ったいう十六の井戸や、底脱けの井戸がある。本尊は薬師如来。1249年の建立で開基は上杉氏定、開山は空外和尚。 |
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・報国寺 竹のお寺として知られている。川端康成の小説「山の音」の舞台ともなった。足利尊氏の祖父、家時の建立。本尊は釈迦、文殊、普賢、迦葉、阿難菩薩とか。冬には寒桜が咲く。竹はうっそうとして中を歩くことが出来る、道の途中で抹茶のサービス(有料だが)があり、いつも混んでいる。別名を宅間寺、迦葉寺ともいうとのこと。 |
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・安養院 浄土宗のお寺。元は北条政子が頼朝を弔うために建てたが、新田義貞によって焼失。再建して安養院とした。本尊は阿弥陀如来。千手観音がある。坂東3番目の札所。 |
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・浄光明寺 1251年北条長時が建立、開山は浄土宗の真阿。本尊は鎌倉時代の作品とされる阿弥陀三尊。名作とか。新しい作りのお堂に安置され、定期的に和尚さんが仏像を説明してくれる。 |
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・円応寺 閻魔さまのお寺。鎌倉時代の仏師運慶の作。運慶が死んで閻魔大王に会った。閻魔大王は運慶に寿命があるからと言って冥土から娑婆に帰された。そのとき見た閻魔大王を彫ったと言われている。、 |
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・瑞泉寺 四季を通じて花の多いお寺。鎌倉駅から遠いのが難点だが人の足が遠い分ゆっくり出来るということかも。梅に、水仙、萩、彼岸花、寒桜など。1327年足利基氏の建立、開山は夢想国師。建長寺裏から続く天園ハイキングコースの終点でもある。一時期吉田松陰が身を隠し、鎌倉では数少ない明治維新に関係のあった寺とか。 |
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・覚園寺 このお寺は花もさることながら、何と言っても仏像。1217年北条義時が薬師如来、十二神将、日光、月光等を奉るために建てたと伝えられている。本尊は薬師如来で運慶の作とか。源実朝が1218年八幡宮で殺害されたとき、北条義時は、此処の薬師如来のお告げで実朝の列を離れ、変わった源仲章も殺害されたが、義時は助かったとの逸話がある。毎日、時間を決めて住職が、お寺を案内して廻るミニツアーがある。約1時間。落ち着いて楽しめる。 |
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・向福寺 時宗のお寺。開山は一向。開基、創建の時期や沿革は不明。本尊は木造の阿弥陀三尊像で南北町時代の作品とか。鎌倉三十三所観音霊場第15番札所。本堂と表門は関東大震災で全壊し、昭和初期に再建。 |
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・教恩寺 時宗のお寺。開山は知阿弥陀仏、開基は北条氏康。源平の戦の折、平重衛が捕らわれた時にこの地に屋敷を持った、重衛の持仏が弥陀三尊と言われる。 |
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・実相寺 文保元年(1317年)日照が開堂した日蓮宗のお寺。曽我物語りの工藤祐経の屋敷跡に外孫だった日照が建立した。 |
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・明王院五大堂 四代将軍藤原頼経が嘉禎3年(1237年)別当定豪を開山として建てた。藤原頼経は明王院で北条氏の監視下にあった。 |
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・妙隆寺 戦国時代までは小田原北条氏の庇護で栄えたが、徳川の時代に庇護がなく寂れた。2世の日親上人が「立正治国論」説いて焼けた鍋を被せられる拷問に堪えたことから「鍋かぶり寺」とも言われる。 |
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・光則寺 北条時頼の家臣宿屋光則の開基。日蓮の弟子日朗、日真を捕らえて監視している内に、日蓮に帰依し家をお寺にしたと言う。関東第一と言われる海棠、ほかに梅、牡丹、菖蒲など花と、静かなお寺として知られている。 |
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・成就院 承久元年(1319年)北条泰時の建立。真言宗のお寺。弘法大師が江ノ島に来た折、ここで護摩供養を行なった地に建立したとのこと。本尊は不動明王。あじさいで知られる。 |
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・満福寺 行基の開山による古義真言宗のお寺。義経の腰越状で有名。義経が平家討伐後鎌倉入りを拒まれてしばらく逗留したお寺。又、義経が藤原泰衡に討たれ、平泉から酒に浸されて送られた首を和田義盛、梶原景時が実験した場所と言われている。義経の首は藤沢に埋められ、今は白幡神社となっている。 |
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・常楽寺 臨済宗建長寺派のお寺。北条泰時が嘉禎3年(1237年)に粟船御堂を夫人の母の供養の為に建立。仁冶3年(1243年)、北条泰時の死後、その法名をとって常楽寺となった。開基は北条泰時、開山山は蘭渓道隆、本尊は阿弥陀三尊。木曽義仲の子、義隆の墓、北条泰時の墓がある |
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・大巧寺 おんめ様のながつく安産祈願のお寺。元は大行寺。頼朝が戦でお祈りし、勝ったことから大功寺に改められた。正面の赤い門は将軍家ゆかりのお寺を表す。 |
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・常栄寺 通称はぼたもち寺。日蓮が龍の口刑場に行くとき、桟敷尼という老女がボタモチを供養したのでそう呼ばれると言う。 |
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・上行寺 日蓮宗のお寺。1313年日範上人の建立。本尊は三宝諸尊、江戸時代にはよく句会が開かれたとか。 |
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・別願寺 時宗のお寺。1282年に時宗の寺となった。足利持氏の墓と言われる宝塔がある。 |
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・本興寺 永徳二年(1382年)日什の創建。 |
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・大宝寺 永享6年(1434年)妙法院日出が草庵を建てたことに由来。その前は佐竹上総介が出家して立てた寺があったが、上杉憲方に焼かれたとか。日出は佐竹上総介の孫。佐竹家の霊に仕えるために建立したと言われる。 |
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・長勝寺 日蓮上人が開山、石井藤五郎長勝が弘長3年(1263年)開基として建てた寺。貞和元年(1345年)長勝寺となった。本尊は日蓮上人と帝釈天。室町時代初期に建てられた五間堂はこの形式(鎌倉時代の建築様式)で、関東地方最古とか。 |
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・妙長寺 日蓮宗のお寺。開山は元弘元年(1331年)日実による。相輪塔、日蓮、日朗、日実各上人の木造坐像、三宝本尊、四菩薩、七面天女、三面大黒天等の像がある。 又、境内には伊豆に流された日蓮が沼浦から船出したという1/6の船の模型もある。 |
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1位:建長寺 日本で最初の禅の専門道場とか。最近は境内が舗装されあまり風情を感じなくなったが、入って直ぐの柏槇(ビャクシン)、方丈裏の史跡庭園は落ち着きを感じる。三門右の鐘楼は国宝。 |
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2位:円覚寺 文永、弘安の役で亡くなった武士の霊を慰めるために北条時宗が開基となって創建。6万坪の敷地があり、帰源院や仏日庵では夏目漱石、島崎藤村、川端康成、有島武郎らが仮住した。15の塔頭寺院がある。奥行きが長く、奥に行くほど趣が出てくる。 |
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3位:寿福寺 1200年2月北条政子の開基、開山は明庵栄西。源頼朝の父祖である頼義、為義、義朝が住んだ地でもある。北条政子、源実朝の墓がある。 |
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4位:浄智寺 林の中のお寺。中国風の山門があり、少し異国ムードがあるが本尊は阿弥陀、釈迦、弥勒菩薩。沙羅双樹の大きい木、鎌倉十井の甘露ノ井がある。 |
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5位:浄妙寺 青砥橋を過ぎて直ぐの所。足利義満によって鎌倉五山の第五番目に加えられた。当時は建長寺、円覚寺並の7堂伽藍があったらしい。今は本堂と、最近は立派な茶屋が出来た。参道は桜が綺麗らしい。文治四年(1188年)建立、その当時は極楽寺と言ったが、尊氏の時に浄妙寺に変えたとのこと。 |
鎌倉五名水 | ・金龍水 ・不老水 ・日蓮乞水 ・銭洗水 ・梶原太刀洗い水 |
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鎌倉十井 | ・六角の井 源為朝が流刑地の大島から天照山(鎌倉)に向けて矢を射ると、その矢が此処の六角の井戸に落ちた。村人が矢を抜くと鏃が井戸の中に残り、その鏃を抜くと湧き水が枯れたので元に戻したという逸話がある。井戸は八角形だが、二角は隣の市の逗子の分とか。鎌倉の分は六角なので六角の井戸というらしい。材木座にある。 ・棟立の井 家の棟のような形をしている井戸であることから「棟立の井」(むねたてのい)と呼ばれているという。覚園寺の境内にある。 ・瓶の井 「つるべの井戸」、井戸の中が、瓶のように膨らんでいるから「瓶の井」と言うらしい。お墓の参拝者用に今も使われているとか。明月院にある。 ・甘露の井 言われは不明。浄智寺の入り口、参道の脇にある。 ・鉄の井 「くろがねの井戸」と言う。此処を掘ったら鉄の観音様の首が出てきたので、鉄の井と呼ばれるようになったという。八幡宮の直ぐそば、小町通りのはずれにある。 ・泉の井 この地の地名「泉ガ谷」の地名になったと言われる。近所に浄光明寺、岩舟地蔵がある。 ・扉の井 扇形に岩をくりぬいてある泉であることから扇の井という逸話がある。この地域の地名「扇ケ谷」の始まりとか。現在は個人の所有地内。 ・底脱の井 ある時、この井戸の水を桶に汲んだ尼が、桶を頭に載せたら桶の底が抜けてびしょ濡れになったらしい。その時に悟りを開いたという逸話からこの名がついたとか。海蔵寺にある。 ・星の井 極楽寺坂近辺は昼でも暗いところから星月夜の地と言われていたので「星月夜の井戸」。又は水が清く井戸の中に星を見ていたので「星の井戸」と名がついたと言う。 ・銚子の井 |
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鎌倉十橋 | ・琵琶橋 ・筋違橋 ・歌の横 ・勝の横 ・裁許横 ・針磨橋 ・夷堂橋 ・逆川橋 ・乱橋 ・十王堂橋 |
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鎌倉の三名鐘 | ・建長寺 ・常洛寺 ・円覚寺 |
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鎌倉の川 | ・豆腐川 ・滑川 ・稲瀬川:白波五人男、16夜清心の場所はこの川の河口。万葉集には”美奈能瀬川”という名で詠まれている。この川に掛かる橋を「兵の橋」と言い、頼朝の鎌倉入り、義貞の鎌倉乱入等、歴史上の事実が多い。 ・極楽寺川 ・音無川 |
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鎌倉の浜 | ・由比ガ浜 ・七里ガ浜 |
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鎌倉の島 | ・和賀江島 |
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鎌倉七口 | ・朝比奈切通し ・名越切通し ・大仏切通し ・極楽寺切通し ・化粧坂 ・亀ガ谷 ・巨福呂坂 |
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鎌倉十三仏 |
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鎌倉24地蔵 |
・1番:宝戒寺 唐仏地蔵 ・2番:来迎寺 報恩寺・巖上地蔵 ・3番:覚園寺 黒地蔵、火焼地蔵 ・4番:杉本寺 石造身代地蔵 ・5番:光触寺 石造塩嘗地蔵 ・6番:杉本寺 ・7番:瑞泉寺 どこもく地蔵 ・8番:円応寺 閻魔 ・9番:建長寺 心平寺地蔵 ・10番:建長寺 斎田、身代地蔵 ・11番:建長寺 勝上獄地蔵 ・12番:浄智寺 ・13番:円覚寺 正続院 ・14番:円覚寺 矢柄地蔵(焼失) ・15番:岩舟地蔵 ・16番:浄光明寺 石造網引地蔵 ・17番:浄光明寺 矢拾地蔵 ・18番:寿福寺 ・19番:東漸寺 日金地蔵 ・20番:極楽寺 ・21番:極楽寺 日影地蔵 ・22番:光明寺 石造延命地蔵 ・23番:延命寺 身代、裸、前出地蔵 ・24番:安養院 石造日限地蔵 |
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鎌倉33観音 |
・1番:杉本寺 十一面観音 ・2番:宝戒寺 准胝観音 ・3番:安養院 千手観音 ・4番:長谷寺 十一面観音 ・5番:来迎寺 如意輪観音 ・6番:瑞泉寺 千手観音 ・7番:光明寺 聖観音 ・8番:明王院 十一面観音 ・9番:浄妙寺 聖観音 ・10番:報国寺 聖観音 ・11番:延命寺 聖観音 ・12番:教恩寺 聖観音 ・13番:別願寺 魚藍観音 ・14番:来迎寺 聖観音(材木座) ・15番:向福寺 聖観音 ・16番:九品寺 聖観音 ・17番:補陀洛寺 十一面観音 ・18番:光明寺 如意輪観音 ・19番:光明寺蓮乗院 十一面観音 ・20番:光明寺千手院 千手観音 ・21番:成就院 聖観音 ・22番:極楽寺 如意輪観音 ・23番:高徳院 聖観音 ・24番:寿福寺 十一面観音 ・25番:浄光明寺 千手観音 ・26番:海蔵寺 十一面観音 ・27番:建長寺妙高院 聖観音 ・28番:建長寺 千手観音 ・29番:建長寺龍峰院 聖観音 ・30番:明月院 如意輪観音 ・31番:浄智寺 聖観音 ・32番:東慶寺 聖観音 ・33番:円覚寺仏日庵 十一面観音 |
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鎌倉3首 (鎌倉を詠んだ万葉集) |
・巻14-3365 鎌倉の 見越しの崎の 岩崩えの 君が悔ゆべき 心は持たじ ・巻14-3366 ま愛しみ さ寝に吾は行く 鎌倉の 美奈の瀬川に 潮満つなむか ・巻14-3433 薪樵る 鎌倉山の 木垂る木を まつと汝が言はば 恋ひつつやあらむ |
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鎌倉市指定天然記念物 | ・光則寺のカイドウ ・御霊神社のタブノキ ・大慶寺のビャクシン ・寿福寺のビャクシン ・英勝寺のワビスケ、トウカエデ ・浄光明寺のマキ、ビャクシン ・妙本寺のイチョウ ・安養院のマキ ・安国論寺のカイドウ、サザンカ、ヤマザクラ ・光明寺のクロガネモチ |
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鎌倉の名品 | ・鎌倉彫り ・鎌倉ハム ・井上蒲鉾店の蒲鉾 ・鳩サブレー ・鯵の押し寿司 |
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主な年中行事 |
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