万葉集長歌百選

長歌を百首選びます。なお、解釈は長文になり
書籍も参照しながら解釈文を作る以上、どうしても
著作権に抵触する部分が出てくる恐れがあるので、
解釈文は感想程度に軽くし原文、訓読、カナ
主体に掲載することに致しました。



No. 作者 感想
15 山部赤人 なまよみの 甲斐の国 うち寄する 駿河の国と こちごちの 国のみ中ゆ 出で立てる 富士の高嶺は 天雲も い行きはばかり 飛ぶ鳥も 飛びも上らず 燃ゆる火を 雪もち消ち 降る雪を 火もち消ちつつ 言ひも得ず 名づけも知らず くすしくも います神かも 石花の海と 名づけてあるも その山の つつめる海ぞ 富士川と 人の渡るも その山の 水のたぎちぞ 日の本の 大和の国の 鎮めとも います神かも 宝とも なれる山かも 駿河なる 富士の高嶺は 見れど飽かぬかも 巻3-319、山部赤人が富士山を詠む歌。甲斐と駿河とあっちこっちの国の真ん中に立つ富士の高嶺は雲も行き手を遮られ、鳥も飛び立てず、火も雪で消し、雪も火で消す、言葉ではいい現せないと詠んでいる、さらに、名前も付けられない不思議な神のいる山で、石花の海はこの山がつつんだ海(富士五胡のこと)、富士川もこの山の水である、大和の国の鎮守としての神がいる、宝ともなっている山だ詠み、富士の高嶺はいつ見ても飽きないものだと詠んでいる。
14 山部赤人 天地の 分れし時ゆ 神さびて 高く貴き 駿河なる 富士の高嶺を 天の原 振り放け見れば 渡る日の 影も隠らひ  照る月の 光も見えず 白雲も い行きはばかり 時じくぞ 雪は降りける 語り継ぎ 言ひ継ぎ行かむ 富士の高嶺は 
巻3-317、山部赤人が富士山を望んで作る歌。天と地が出来た時から高く貴い富士の高嶺を仰いで見れば、日も陰になり月の光も見えず、雲は行く手を阻まれ、常に雪が降っている、この富士山を語り継ぎ、言い継いで行こう、と詠んでいる。


13 大伴旅人 み吉野の 吉野の宮は 山柄らし 貴かるらし 川柄し さやけかるらし 天地と 長く久しく 万代に 変はらずあらむ 行幸の宮 
巻3-315、春、吉野の離宮に行った時、大伴卿が天皇の命により作った歌。吉野の宮は山が貴く川も清く、天地と供に万代までも長く久しく変わらずにあるだろう、と詠んでいる。


12 柿本人麻呂 玉藻よし 讃岐の国は 国柄か 見れども飽かぬ 神柄か ここだ貴き 天地 日月とともに 満りゆかむ 神の御面と 継ぎて来る 中の港ゆ 船浮けて 我が漕ぎ来れば 時つ風 雲居に吹くに 沖見れば とゐ波立ち 辺見れば 白波さわく 鯨魚取り 海を恐み 行く船の 梶引き折りて をちこちの 島は多けど 名くはし 狭岑の島の 荒磯面に いほりて見れば 波の音の 繁き浜辺を 敷栲の 枕になして 荒床に 自臥す君が 家知らば 行きても告げむ 妻知らば 来も問はましを 玉桙の 道だに知らず おぼぼしく 待ちか恋ふらむ 愛しき妻らは
巻2-220、今の香川県坂出市裟弥島で石の間で亡くなった人を見て柿本人麻呂が作った歌。
讃岐の国は国柄、神柄がらが良いからか見ても飽きず、こんなにも貴い。天地、日月ともに満ちたりて行くであろう、と詠い、中の港に船を浮かべて漕いでくれば風が雲を吹き、沖は波が立ち、浜辺は白波が立っている。海を恐れて梶を折れるほど漕いで、数多くの島の中から有名な狭岑の島の荒磯に庵を作って見ると、波音の盛んな浜辺を枕にして荒い床に臥している君がいる。君の家を知っていれば行って告げよう。妻が知れば来て問いもしよう、愛しい妻らは道も知らず不安に待ち焦がれているだろう。と詠んでいる。


11 柿本人麻呂 秋山の したへる妹 なよ竹の とをよる子らは いかさまに 思ひをれか 栲縄の 長き命を 露こそば 朝に置きて 夕は 消ゆと言へ 霧こそば 夕に立ちて 朝は 失すと言へ 梓弓 音聞くわれも おぼに見し 事悔しきを 敷栲の 手枕まきて 剣刀 身に副へ寝けむ 若草の その夫の子は さぶしみか 思ひて寝らむ 悔しみか 思ひ恋ふらむ 時ならず 過ぎにし子らが 朝露のごと 夕霧のごと
巻2-217、吉備津の采女が亡くなった時、柿本人麻呂が作る歌。
赤い秋山のようで、なよ竹のようにしなやかな娘はどう思っているか、長いはずの命を露や霧のように朝夕に生まれては消えて行くと言うことを。と詠い、娘のことを噂に聞く私も残念に思う。手枕に巻いて、身を添えて寝た若い夫は寂しく、又は悔しく思っていることだろう。未だ若くして亡くなってしまった娘は朝露、夕霧のようだ。と詠んでいる。


10 柿本人麻呂 うつせみと 思ひし時に 取り持ちて わが二人見し 走出の 堤に立てる 槻の木の こちごちの枝の 春の葉の 茂きがごとく 思へりし 妹にはあれど たのめりし 児らにはあれど 世間を 背きしえねば かぎろひの 燃ゆる荒野に 白栲の 天領巾隠り 鳥じもの 朝立ちいまして 入日なす 隠りにしかば 我妹子が 形見に置ける みどり子の 乞ひ泣くごとに 取り与ふる 物し無ければ 男じもの 脇はさみ持ち 我妹子と ふたりわが宿し 枕付く 嬬屋のうちに 昼はも うらさび暮らし 夜はも 息づき明かし 嘆けども せむすべ知らに 恋ふれども 逢ふ因を無み 大鳥の 羽易の山に わが恋ふる 妹は座すと 人の言へば 石根さくみて なづみ来し 吉けくもそなき うつせみと 思ひし妹が 玉かぎる ほのかにだにも 見えなく思へば 巻2-199、柿本人麻呂が妻が亡くなった後、泣き、慟哭して作った歌。二人で手に取って見た堤に立っている槻の木の春の葉が枝枝に茂るように多く思い、頼りにしていた妻であったと詠い、しかし世の中には背けず荒野に白い衣に身を隠し鳥のように朝立って入日のように隠れてしまった、と詠い、残された形見の嬰児が泣く度に与える物もなく、子どもを脇に抱えて妻と二人で寝た部屋の中で昼は心さびしく、夜はため息をついて暮らし、嘆いても為す術を知らないと詠い、妻を恋しても会う方法はないので、大島の羽易の山に恋する妻がいると人が言うので岩道を踏み越えてやっと来た、と詠い、しかし良いことがない、現世の人と思っていた妻がほのかにさえも見えないから、と詠んでいる。妻を思う気持ちがよく現れていると感じる歌である。


柿本人麻呂 かけまくも ゆゆしきかも 言はまくも あやに畏き 明日香の 真神の原に ひさかたの 天つ御門を かしこくも 定めたまひて 神さぶと 磐隠ります やすみしし わご大君の きこしめす 背面の国の 真木立つ 不破山越えて 高麗剣 和射見が原の 行宮に 天降り座して 天の下 治め給ひ 食す国を 定めたまふと 鶏が鳴く 吾妻の国の 御軍士を 召し給ひて ちはやぶる 人を和せと 服従はぬ 国を治めと 皇子ながら 任し給へば 大御身に 大刀取り帯かし 大御手に 弓取り持たし 御軍士を あどもひ給ひ 斎ふる 鼓の音は 雷の 声と聞くまで 吹き鳴せる 小角の音も 見たる 虎か吼ゆると 諸人の おびゆるまでに 捧たる 幡の靡きは 冬こもり 春さり来れば 野ごとに 着きてある火の 風の共 靡くがごとく 取り持てる 弓弭の騒き み雪降る 冬の林に  つむじかも い巻き渡ると 思ふまで 聞きの恐く 引き放つ 矢の繁けく 大雪の 乱れて来れ 服従はず 立ち向ひしも 露霜の 消なば消ぬべく 行く鳥の あらそふ間に 渡会の 斎きの宮ゆ 神風に い吹き惑はし 天雲を 日の目も見せず 常闇に 覆ひ給ひて 定めてし 瑞穂の国を 神ながら 太敷きまして やすみしし わご大君の 天の下 申し給へば 万代に 然しもあらむと 木綿花の 栄ゆる時に わご大王 皇子の御門を 神宮に 装ひまつりて 使はしし 御門の人も 白栲の  麻衣着 埴安の 御門の原に 茜さす 日のことごと 鹿じもの い匍ひ伏しつつ ぬばたまの 夕になれば 大殿を ふり放け見つつ 鶉なす い匍ひもとほり 侍へど 侍ひ得ねば 春鳥の さまよひぬれば 嘆きも いまだ過ぎぬに 憶ひも いまだ尽きねば 言さへく 百済の原ゆ 神葬り 葬りいまして 麻裳よし 城上の宮を 常宮と 高くまつりて 神ながら 鎮まりましぬ 然れども わご大王の 万代と 思ほしめして 作らしし 香具山の宮 万代に 過ぎむと思へや 天のごと  ふり放け見つつ 玉襷 かけて偲はむ 恐かれども天 巻2-199、高市皇子が亡くなった時、柿本人麻呂が詠んだ歌。こんなに長い歌もあるということで選びました。長いので解釈らしいことを書くことは挫折。解釈は他HP等の資料を参照下さい。


柿本人麻呂 天地の 初めの時 ひさかたの 天の河原に 八百万 千万神の 神集ひ 集ひ座まして 神分り 分りし時に 天照らす 日女の尊 天をば 知らしめすと 葦原の 瑞穂の国を 天地の 寄り合ひの極み 知らしめす 神の命と 天雲の 八重かき別きて 神下し 座せまつりし 高照らす 日の皇子は 飛ぶ鳥の 浄の宮に 神ながら 太敷きまして すめろきの 敷きます国と 天の原 岩戸を開き 神あがり あがり座しぬ 我が大君 皇子の命の 天の下 しらしめしせば 春花の 貴からむと  望月の 満しけむと 天の下 四方の人の 大船の 思ひ頼みて 天つ水 仰ぎて待つに いかさまに 思ほしめせか つれもなき 真弓の岡に 宮柱 太敷き座し 御殿を 高知りまして 朝言に 御言問はさぬ 日月の 数多くなりぬる そこ故に 皇子の宮人 ゆくへ知らずも 巻2-167、持統天皇の子、日並皇子(草壁皇子)が亡くなった時、柿本人麻呂が詠んだ歌。天を治める天照大神を詠い、その天照大神が国を治めるために日並皇子を下されたと詠い、その日並皇子が天の岩戸に隠れてしまったと詠い、もし生きて国を治めれば春の花のように貴く、月は満ちて、四方の人は大船のように頼りにし、天の水を仰いで待つだろうと詠い、それをどう思ってか真弓の岡に宮を作ってしまった。物を言わない日が数多くなり、皇子に勤めた宮人もどうしていいか分からなくなっている。と詠んでいる。天と地が始まった時八百万、千万の神から天照大神が選ばれたことと、その天照大神が日並皇子を地上に遣わしたと詠い、日並皇子をたたえている。柿本人麻呂は天皇の行幸に多く同行し歌を詠んだ宮廷の歌人。宮廷を称える歌が多い。


持統天皇 やすみしし 我ご大君の 夕されば 見し給ふらし 明けくれば 問ひ給ふらし 神岳の 山の黄葉を 今日もかも 問ひ給はまし 明日もかも 見し給はまし その山を 振り放け見つつ 夕されば あやに悲しび 明け来れば うらさび暮らし 荒栲の 衣の袖は 乾る時もなし 巻2-159、天智天皇が亡くなった時に皇女の持統天皇が詠んだ歌。夕に見て、朝には問う神岳の紅葉を今日も問い、明日も見ているだろうかと詠い、その神岳を振り向いて見ると夕方には悲しく、朝には寂しくなり衣の袖が乾く時がないと詠んでいる。娘が父親が居なくなった後のさみしさを詠んでいる歌。今居ればこういうことを言うだろう、するだろうということを想像してのだろうか。親娘の間らしいと感じる歌である。

額田王 やすみしし わご大君の かしこきや 御陵仕ふる 山科の 鏡の山に 夜はも 夜のことごと 昼はも 日のことごと 哭のみを 泣きつつありてや 百磯城の 大宮人は 去き別れなむ 巻2-155、天智天皇が亡くなり、埋葬が終わってお墓を退くとき額田王が詠んだ歌。畏れ多い大君のお墓をのある山科の鏡の山で、夜は夜の全部を、昼は昼の全部を泣き続けていた大宮人たちも去って別れていくのだろうか、と詠んでいる。お墓を去る時の心境。それまで泣き続けていた大宮人たちも去っていくのだろうかと、大宮人達を観察し、去って行く大宮人達の変化を詠っている。去り際のひと時を捉えた歌。そういうところに目を向ける額田王に私は感心する。


倭皇后 鯨魚取り 淡海の海を 沖放けて 漕ぎ来る船 辺付きて 漕ぎ来る船 沖つ櫂 いたくな撥ねそ 辺つ櫂 いたくな撥ねそ 若草の 夫の 思ふ鳥立つ 巻2-153、天智天皇が亡くなった時皇后が詠んだ歌。沖を漕ぐ舟、岸辺を漕ぐ船に櫂の音を大きく立てるな、夫の好きだった鳥が飛び立つから、と詠んでいる。お墓の周りを静かにとか、好きだった鳥をお墓の周囲に居させてやりたいと思ってのことだろう。倭皇后の歌は万葉集にはこの歌を含めて3首詠われている。全部が天智天皇のことを詠んだ歌である。


柿本人麻呂 石見の海 角の浦廻を 浦なしと 人こそ見らめ 潟なしと 人こそ見らめ よしゑやし 浦はなくとも よしゑやし 潟はなくとも 鯨魚取り 海辺を指して 和田津の 荒礒の上に か青なる 玉藻沖つ藻 朝羽振る 風こそ寄せめ 夕羽振る 波こそ来寄れ 波のむた か寄りかく寄り 玉藻なす 寄り寝し妹を 露霜の 置きてし来れば この道の 八十隈ごとに 万たび  かへり見すれど いや遠に 里は離りぬ いや高に 山も越え来ぬ 夏草の 思ひ萎へて 偲ふらむ 妹が門見む 靡けこの山 巻2-131、京に上る途中で別れてきた妻を思って詠んだ歌。住んでいる石見の海が人には潟や浦がないと言われているが魚を取り、藻が育つので良いと詠い、朝、夕の風や波で育つ玉のような藻を詠い、その藻と藻を揉む波を妻と自分に例えて寄り寝したことを詠い、その妻を家に置いてきたことを旅の途中で万回も思い出したが遠く離れて来てしまったと詠い、そして、これまで越えてきた山や草に対して、靡び臥せて妻の住む門が見えるようにしろと、詠んでいる。言いたいことは「靡けこの山」の一言、前段が長い。この一言を言うために、これだけ長い前段を組むことに驚くと同時に当時の人たちがどういう順番で物を考え、どういう順番で話すかということが伺える。


天武天皇 み吉野の 耳我の嶺に 時なくぞ 雪は降りける 間無くぞ 雨は振りける その雪の 時なきがごと その雨の 間なきがごと 隈もおちず 思ひつつぞ来し その山道を 巻1-25、吉野の耳我の嶺に休むことなく雪が降り雨が降る、そして雪や雨の止むときがないように曲がり角を欠けることなく考えながらこの山道を登って来た、と詠んでいる。”思いつつ来し”がどういう思いだったかの解釈が本によって別れている。吉野に行った3回のうちのどの時かということらしい。どの時かについて何冊か読んだ本のうちなるほどと思う根拠を書いた本は見あたらなかった。今から1300年も前のこと、情報量は少ない。天智天皇が皇太子を辞して頭を剃り、僧となった時を、天皇となった後に回想して詠んだという説がある。勝手な判断だが、これが当を得ているように思う。

額田王 冬こもり 春さり来れば 鳴かざりし 鳥も来鳴きぬ 咲かざりし 花も咲けれど 山を茂み 入りても取らず 草深み 取りても見ず 秋山の 木の葉を見ては 黄葉をば 取りてぞしのぶ 青きをば 置きてぞ嘆く そこし恨めし 秋山われは 巻1-16、春の山と秋の山を詠い、そして自分は秋の山が好きだと読んでいる。春山は鳥が来て鳴き、花は咲くが、草が茂って中に入れないと言っている。一方、秋山は紅葉を手に取って偲ぶことが出来、紅葉していない葉は置いて置く事が出来る。だから秋の山が好きだという。額田王は秋の山が好きだった。今、町の中にいるときれいな紅葉にはなかなかお目にかかれない。稀に山地に行くと火のように赤い紅葉や、全山真っ赤という景色を見ることがある。そいう紅葉を普段に見れれば秋の山が好きになるかもしれない。ちなみに私は春の山、特に新緑で淡い緑の山が好きだ。

雄略天皇 籠もよ み籠持ち 堀串もよ み堀串持ち この丘に 菜摘ます児 家聞かな 告らさね そらみつ  大和の国は おしなべて われこそ居れ しきなべて われこそ座せ 我れにこそは 告らめ 家をも名をも 巻1-1、万葉集の最初に出てくる歌なので外せない歌。始めに菜を摘んでいる女の子を詠い、次に我こそはと自分を詠い、結局は家と名前を聞いている。野原を歩いてバッタリ出会った女の子。良い籠を持ち、良い道具を持つ。早速、家と名前を聞いたというところだろうか。おしなべて・・、しきなべて・・の繰り返しで自分をPRする様子が伺える。





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